宮瀬君とは小学校中学校と同じ、そして同じ階に住んでいた幼馴染です。
宮瀬君のお母様と私の母がたまに行き来しているので、 大人になってからも宮瀬君のことはたまに聞いていました。貯金をはたいて途上国に行って文房具上げたりしてるんだって、と。 何年も、そんな井戸端会議報告を「へぇ~」と聞いていました。
そしてある時、青天の霹靂が。 「英治君、選挙出るらしいよ」 びっくりしました。そして高島平の駅で、銅像の少女くらいポツンと 一人で立候補者として立っている姿を見たとき どう声をかけてよいかわからず、通り過ぎてしまいました。
4年前の都議会議員選挙当日。 テレビ画面で当確の速報を見て、夫や子どもにワーワーと報告しました。 「ちょっと!同級生が都議に当選しちゃった!!」 嬉しい反面、もう私は東京に住んでいないし、なんか遠い人になっちゃったかな…。 それから、みんなの党がなくなって民進党に入ったと聞いたとき 宮瀬君の応援をしたくても民進党だからなぁ…と、さらに遠くなった気がしました。
転機は今年訪れました。 実家に、近所から不審な荷物が届いたのです。 家族内のLINEでは私もパニックになってしまいました。 スマホを使い始めたばかりで操作もままならない母に LINEで写真を撮る方法の指導から始めることになりました。
そんなときふと、4人の子を持つ肝っ玉母ちゃんになった妹が一言。
「宮瀬君に相談できない?」
藁をもすがる気持ちでしたので、すぐに検索しました。
なんとその日、始発から終電まで板橋区の某駅にいるとのこと。 始発から終電だから、私が行こうと思う時間は絶対にいる安心感。 久しぶりに会った宮瀬君は、他の人の相談を受けていました。 板橋区民どころか東京都民でもない私が来ていいのだろうか…。 でも、途上国で散々修羅場をくぐってきたであろう経験値の高さがあるし 同級生として、ご近所情報を熟知している人として、 少し話を聞いてほしい…。
私の番になったとき、再開を本当に喜んでくれました。 そして不審物についての対応をいくつか考えてくれました。 最後に言ってくれた一言で、心が本当に軽くなりました。
「お母さんは僕が守りますよ!」
宮瀬君との再会も何かのご縁だろうと、その後、チラシ配りのお手伝いに参加してみました。 そこに私の母を呼び、不審物を一緒に開けました。 何が入っているかわからず、開けてショックだったらいけないからと 一緒に開けてくれたのです。 中身はたいしたことがなく悪意のないもので、気が抜けましたが 一緒に開けてくれたのでさらに安心感がありました。 自分の家にあると怖いんだったらうちの事務所に置いとく?と 預かってもらうことになりました。
宮瀬君のすごいところは、そこで終わらなかったのです。 送り主がちゃんと元気にやっているのか、心配していました。 自分で良かったらちゃんと無事を確認しに行く、そう言ってくれました。 その後も、送り主のお宅を訪問したけど不在だったことなど報告してくれました。 もしかしたら今後も不審物が届くかもしれません。 もしかしたら送り主と会ってしまうかもしれません。 でも私も母も、もう怖くありません。
宮瀬君がついていてくれる、その安心感に救われました。
宮瀬君は、私たちが近所だから助けてくれたのではないと思います。 チラシ配りのお手伝いをしたとき、ひとりひとりの困りごとを親身に聞いている姿を見て この人は、目の前の困っている人なら誰でも助けようと思う人なのだと実感しました。
宮瀬君に相談すると、たぶんわかると思うのですが、 「担当者に連絡します」という対応じゃないんです。 「僕が動きますよ」と、自分が動いてくれるのです。 相談の内容も、「言わないけどなんか理不尽だと思ってるのよね」みたいな ほとんど特定の誰かの陰口なんじゃないかってくらいのことにも真摯に対応しています。 相談も悩みも十人十色、それに対応できる宮瀬君、すごいなぁ。
宮瀬君が対応してきた困りごとの改善策を色々知ってから、私には宮瀬現象が出てきました。
都心の川の橋の柵を見て「これ、大人の腰の高さしかない。ふらっと転んだら川に落ちる高さじゃない?宮瀬が見たらすぐ対応するのに」 という見方をしてしまうようになりました。
私は板橋区民じゃないのですが、うちの子たちが板橋区の幼稚園に行っていたので 板橋区民のママ友がいっぱいいます。 でも、私は人から「よろしくね」「応援してね」って言われたくないので、 ママ友にも宮瀬君を応援してほしいなどと言っていないんです。
だからここで、応援させてもらいます。