戦争、災害、未来とポスター

終戦記念日に備え、事務所を大掃除しました。
私の父方の祖父は、早稲田大学を卒業後、陸軍に取られ、工兵として満州で働きました。最後は南方の小さな島で守備隊長を勤めていたそうです。墜落した敵飛行機のアメリカ人捕虜にも日々優しくしていたようで、敗戦を迎え逆に祖父が捕虜になり処刑されそうになった際には、その元捕虜から生命を助けてもらったようです。

母方の祖父は、赤紙で兵士として戦場へ。敗戦後、シベリアに抑留され強制労働所で働きました。勤勉な人でしたので、極寒の収容所で夜ロシア語を独学。通訳を務めながら日本への帰国を待ったそうです。その間、戦友が次々と死んでいったようで、祖父が幼い私に話しながら大粒の涙をこぼしていました。

数奇な運命と偶然。そして祖先があって今の自分がいる。いろんなことがすべてつながっています。有り難いことで、有り難いことです。

戦争と平和。そして世界の平和を祈るだけでは、平和は決して守れません。戦争の反対語は「外交」です。国との国との戦争の前には、それを決める指導者たちがいて、その前にその国の人たちがいます。だから、私はNGOで15年間、未来を創っていく子どもたちのために海外の現地現場で汗をかいてきました。また日本の小中学校でもたくさん国際理解の講演してきました。子どもはいつか大人になるという真実があります。

そして、ちっぽけな自分一人では「希望の連鎖」が起こせないから日本の大学生といつも一緒に活動してきました。大学生も4年経てば社会に出ます。その数は約400人。JICAなど国際協力そのものの道に進む者もいれば、途上国のインフラ整備会社や商社、メーカーなどの民間企業、官庁に就職したり、弁護士、教師、看護士になるもの者もいます。青臭いことを言うのは勇気が必要ですが、いつまでも学生時代のように世界の平和を熱く語る人、それぞれの仕事で行動する人であって欲しい。と心から思います。

祖父たちがかろうじて繋いできた命。そして先人たちの教えをまた次の世代にちょっとずつ繋いでいくこと。希望のバトンリレー。希望の連鎖。

そして最後に。今の私の仕事である都議として何が出来るか。戦争はもとより災害も理不尽な死。やっぱり首都直下地震での死者を少しでも減らしたい。人が理不尽に死ぬのはどうしても嫌です。

そう思いながら、構想から1年、完成したばかりの1枚1枚カスタマイズされた新しい災害用特製ポスターの1号機を見てます。今日は一日厳粛な気持ちで過ごそうと思います。

宮瀬 英治さんの写真
宮瀬 英治さんの写真

 

 

 

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